勤め人のゴルフスタイル。それでも70台を維持できる(中)~競技ゴルフへの誘い⑬

今回、ご登場いただくのは、河川敷コースで腕を磨き2015年にパブリックミッドアマ東日本地区決勝大会で優勝を果たしたタクシードライバーのYさん(55)。限られた予算とラウンド数(年間45ラウンド)の中で、いかにしてアマチュア競技ゴルファーの憧れであるスクラッチゴルファーになれたのか、練習方法やスイングに対する考え方を聞きました。

Yさんは高校時代にインターハイでソフトテニスの団体戦で全国優勝。もともと運動能力が高く「見て盗む」能力に長けていたYさんは、26歳で最初の師匠に出会い、今も通用するスイングの基本を学んだそうです。

「最初は会社のコンペで年に1回ラウンドする程度。練習もしないので100前後のゴルフでした。本格的に競技ゴルフを目指すきっかけとなったのが、同じ河川敷コースでハンデ1のIさんと出会ったこと。ある都内のクラブ工房で偶然、知り合いになり、しばらくはIさん(当時45歳)の“おっかけ”をして、時間を見つけてはIさんが通う練習場に行きました」。

スイングの基本を追及し始めて、わずか2年で河川敷コースのスクラッチ選手権を制した

<スイングの基本は肘下回旋とビュンビュン素振り>

「技術は見て盗め」タイプの師匠が、ひとつだけ教えてくれたスイングの肝が、「肘下を旋回させてボールを捕まえる」こと。ゴルフ動画全盛の今、多くのレッスンプロが様々な表現を使いアームローテーションでボールをとらえる動きを教えていますが、Iさんの「肘下を意識して旋回させる」という表現がYさんにピッタリはまったようです。

「ボールを捕まえる上体の動き。そして下半身、つまり腰を切ればフェードになる。現在でもゴルフ動画で、多くのプロが同じことを言っている。自分がわずか2年で河川敷とはいえ、スクラッチ選手権で優勝できたのは、スイングの基本を短期間で学ぶことができたから。その基本は今も変わりません」。

Yさんがゴルフを始めた1990年代前半は、パーシモンとメタルヘッドのドライバーの時代。いかにボールを捕まえて、フックボールを打つかがスイングの基本。「練習場では必ず左端の打席を陣取って、ドライバーで右端に向かってボールを打ち出してフックボールを打つ練習ばかりしていました」とYさん。

「できるだけ肘の動きを意識してアームローテーション。クラブヘッドは開いて閉じるのが基本で、最初はプッシュアウトばかりですが、捕まってくると左へのひっかけが出る。最初の1年はドライバーでひたすらフックを打つ練習を続けました」。

「今思えば、スイング動画などで芹沢信雄プロが推奨する“ビュンビュン素振り”を、当時からやっていました。下半身は使わず、上体の動きだけでハーフスイング。トップはクラブを立てて、フィニッシュもクラブを立てるハーフスイング。これを続けると、腕の使い方が分かります」。

河川敷をホームにパブリックミッド東日本タイトルを獲得。Yさんは雑草競技ゴルファーの鑑

師匠との出会いと練習場での開眼から1年半後の1995年4月。雑草アマチュアゴルファーの祭典・パブリック選手権(現アマチュアゴルファーズ選手権)に挑戦。当時のパブ選は東日本決勝が1会場だけ(現在は3会場)で、各予選ともに通過ラインは74~76とハードルが高く、予選通過にはJGAハンデで3前後の実力が必要でした。

勝負強いアスリートのYさんは、初出場のパブ選予選(@朝霞パブリック)で初の70台となる77をマークしましたが、残念ながら予選落ち(通過スコアは75)。「風が強くて150ヤードを3鉄で打ったのを憶えています」とYさん。この時のワクワク感と悔しさが、Yさんを競技ゴルフへと導くきっかけとなります。

翌1996年には、ホームコースのスクラッチ選手権を初のアンダーパー(71)で回り、初タイトルに輝きます。この時、ハンデが1になりました。

Yさんはこの年まで大手運送会社のサラリーマンでしたが、さらに競技ゴルフを極めようと、会社を辞め、個人での運送業務を始めました。しかし人生はそう甘くありません。毎日早朝から業務を始め、午後3時には終業。しかし週休1日で予算も限られているため、週に一度の河川敷でのハーフラウンドと、ラウンドは河川敷での月例競技のみ。練習場に毎日、通う余裕はありませんでした。

その後、Yさんは経済的な安定を求め大手タクシー会社に就職。「19時間勤務(午前6時~午前2時)→明け」というシフトを続けながら、トップアマへと成長していきます。

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“家練”の基本は2㍍キャリーのアプローチ練習