かつて東ハトレディースを主催した東ハトの小林義迪社長が「プロが必死にパーセーブしていく姿にこそ感動がある。簡単にアンダーパーが出るセッティングにはしない」と豪語したのが、ツアーでも有数の難コース・オークビレッヂ。
今はゴルフ5オークビレッヂと名を変えましたが、名匠・デズモンド・ミュアヘッド設計の丘陵コースは13ホールが池やクリークに絡み、大きなグリーンは複雑なアンジュレーションがあります。7000ヤードを超えるフルバックではコースレートが73.6もあり、美しくもタフなコースです。
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— 日本女子プロゴルフ協会(JLPGA) (@JLPGA_official) September 4, 2022
本日のハイライト動画を公開しました🏌️♀️✨
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プレーオフの末、#セキユウティン が悲願のJLPGAツアー初優勝!🏆🎉
最終日ハイライトは
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そのオークビレッヂで、セキ・ユウティン選手(中国)が、大会連覇を狙った吉田優利選手とのプレーオフを制して、ツアー初優勝を飾りました。2人ともキュートですが、ドライバーで250ヤードを飛ばし、ピンを刺すアイアンショットはキレキレ。3日間、12アンダーで並んでのプレーオフ。最終日は、最終組が前半を終えた段階で、堀琴音ら4人が11アンダーの首位で、2打差に14人がひしめくハイレベルな大混戦でした。
時代は遡って1996年の東ハトレディース。優勝したのは当時27歳の木村敏美選手で、優勝スコアは3日間合計で7オーバー223ストローク。初日から強風が吹き荒れ、最終日は瞬間最大風速16㍍の突風の中、2バーディー、5ボギーの75でまとめたもの。当時の読売新聞によると、3日間で池に飲み込まれたボールは239個にも及んだそうです。凄いですね。プロでこの数ですから、相当、ピンを池側に振っていたのでしょう。
当時の大会は7月に開催され、前週が日本女子オープンということもあり、選手のモチベーションも上がらないところに、JGAよりもタフなセッティングだったため、一部のトップ選手が疲れなどを理由に出場を避けた大会でもありました。東ハトの小林社長によると、当時のJLPGA幹部は「ギャラリーはプロのバーディーを見に来る」と言い、コースセッティングの見直しを示唆していたといいます。
しかしこのスコア差は何を物語るのでしょうか。道具の進化や、選手のレベルが上がったのは間違いありませんが、当時のコースセッティングは、フェアウエーを外すと完全に1罰打のようなラフで、現在よりも難しかったのは確かです。道具でいえば、96年というと、キャロウエイのビゲストビッグバーサという比較的大きめのチタンドライバーが登場し、ボールも飛距離性能に劣るバラタボールやスピン系2ピースの時代。ボールを曲げて操る技術が必要で、10代のアマチュアがプロの大会で勝てる時代ではありませんでした。
2000年に入り、宮里藍選手の登場以来、日本女子のレベルは間違いなく上がりました。道具の進化だけでなく、スイング、トレーニング、そしてコーチング理論の確立が多くのジュニアを育てました。畑岡奈紗、渋野日向子、笹生優花ら多くの日本人女子が海外メジャーで活躍する時代。選手のレベルは間違いなく上がっています。最終日のバーディー合戦も面白いですが、優勝争いがイーブンくらいの手に汗握る試合がメジャー大会以外にあってもいいかなと感じる今日このごろです。
時田 弘光
~No Golf No Life~
数年前まで真剣に競技ライフを送ってきた雑草勤め人ゴルファー。現在はおひとりさまゴルフなどで、自堕落でゆるいラウンドを楽しんでいます。そろそろドライバーで200㍎の壁が見えてきた57歳。